2016.05.18

受けた恩は次の人へ。繋げることの大切さを教わった話。

先日、親友がギックリ腰になってしまった。
その親友は転職を繰り返して仕事に対しての自信をなくしてしまっていて、やっとこさ自分から「頑張りたい」と思う仕事が決まって働き始めた矢先のこと。

休んでいる間「仕事に戻れるかなぁ」「クビにならないかなぁ」とずっと不安そうにしていて、そして、1週間経ってやっと仕事に復帰できるぐらいにまで回復して電車に乗っていたら、運悪く、乗客に思いっきり押されてしまったようで、転んで、腰を痛めてそのまま仕事にいけなかった。

腰を痛めてほぼ動けない状況のときに、その親友から泣きながら「助けて」って電話がかかってきたのだけど、その涙は、腰の痛みにたいしてではなくて、「職場に申し訳ない」って気持ちと「自分はもうクビになるかも」って不安とが溢れてしまって出てきた涙と言葉だった。

その気持ちを感じたら、僕も涙が出てきた。
いつも思うのだけど、大切な人とは心が繋がっている気がする。大切な人が嬉しければ僕も嬉しいし、大切な人が悲しければ僕も悲しいし、大切な人の痛みは僕の痛みでもある。

人生には悪い波もあるけれど、しっかり誠実に生きていれば、悪い波は続かない

人生ってなぜか「波」みたいなものがあって、うまくいっているときはすべてがうまくいくように感じる。逆に、なぜだか分からないけれど、これでもかってぐらい嫌なことが重なることもある。だけど、やっぱり、しっかり誠実に生きていれば、悪い波は続かないようにも感じる。

親友と電話で話していると、そばを歩いていた女性が親友に声をかけてくれたようで「大丈夫?」「どうしたの?どこが痛いの?何があったの?」「今そこの病院から車イスを借りてくるからね」「病院まで連れていくから、ここで待っててね」そんなやり取りが電話口から聞こえてきた。

たまたま通りかかった女性が親友を病院に連れていってくれたので、病院の名前を聞いて僕も向かった。

病院にいって受付で親友のいる場所を聞いて行ってみると、その女性が待っていてくれた。診察を終えて出てきたときに一人だと心細いだろうからといって、僕が来るまで待っいてくれたとのこと。

見ず知らずの人にもかかわらず、道で声をかけてくれて、わざわざ病院まで走って車イスを持ってきてくれて、そして病院まで運んでくれて、それだけでも感謝してもしきれないのに、あまりの優しさに「本当に本当にありがとうございます」って言葉を伝えるのがやっとな自分がいた。

その女性は僕に状況もろもろを伝えてくれて、そして、立ち去ろうとした。なんとかお礼をしたいと思ったし、親友も同じことを思うと思ったので連絡先を聞いたのだけど、「お礼なんていいの。ただ、もし、これから先に、同じように困っている人を見かけたら助けてあげてね。」と言って、その女性は笑顔で去っていった。

受けた恩は次の人へ。繋げることの大切さ

女性からの言葉を聞いた瞬間、何かを受け取ったような感覚になって、胸の奥がじんわりとあたたかいもので満たされていくのを感じた。「自分も人に優しくあれる人でありたいな」という気持ちや「受けた恩を次の人へ繋げたい」という気持ちが次から次へと溢れてきた。

人から優しくされると、自分の心も優しくなる。
そして、人に優しくしたいなと思うようになる。

その後、親友が診察を終えて出てきて、その女性のメッセージを伝えた。メッセージを聞かずともその女性の優しさを受け取っていた親友は、嫌なこと続きの中でも、すこし気持ちが前向きになっていた。

その女性がこのブログを見ることはないと思うけれど、あのときの感謝の気持ちをどこかに表現したくて、書いてみました。本当に、ありがとうございました。そして、僕も受け取った愛情を次の人へ繋げていきます。

無条件の愛情が周りへ与えるエネルギーって、、、すごいね。